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医師の教訓、心構えから、ことわざを学ぼう!
昨年末の連続ドラマでは、米倉涼子さん主演の人気シリーズ『ドクターX』が放送され、再び注目を集めましたね。
今や連続ドラマの定番となった医療系ドラマですが、2020年1月スタートの新ドラマには、
『病院の治しかた~ドクター有原の挑戦~』
『恋はつづくよどこまでも』
『アライブ がん専門医のカルテ』
『病室で念仏を唱えないでください』
『心の傷を癒すということ』
『トップナイフ―天才脳外科医の条件―』
なんと、以上六作もの医療系ドラマが放送されます。
医療系ドラマには、命の大切さ、医療現場の過酷さ、厳しさ、病気の辛さ、医師の思いなど、様々なメッセージが込められており、非常に見応えのある作品が多いジャンルですが、今シーズンはどのような作品に出会えるのか楽しみですね。
そこで、今日は医師の心構えや格言として有名なことわざを紹介したいと思います。
今日のことわざ『鬼手仏心』
鬼手仏心(きしゅぶっしん)
意味 ・・・ 技術は鬼のような冷酷さと冷静さを持ち、気持ちは相手を思いやる仏のような慈しみの情をもって対処するということ。
『鬼手仏心』 の意味解説
『鬼手仏心』を、『鬼手』と、『仏心』に分けて考えると、鬼のような手を持ち、仏のような心を持つ、となりますね。
そして、この言葉は、医師(特に外科医)を表す表現になります。
わかりやすく分けて考えると、
鬼手 ・・・ 手術の際には、残酷なほどに大胆に患者の身体にメスを入れること。
仏心 ・・・ 何としてでも患者を救いたいという温かい思い。
この二つを同時に持ち合わせていることになります。
医師(特に外科医)は手術の際、鬼のように残酷に大胆にメスを入れるが、それは何としても患者を救いたいという仏のような温かい心があってこそだという意味になります。
また、医療の世界だけではなく、一般社会においても、技術や判断は鬼のような冷酷さを持ち、気持ちは相手を思いやる仏のような慈しみの情をもって対処するということ。という意味でも使われます。
『鬼手仏心』の由来
『鬼手仏心』は、仏教の経典にある『鬼手菩薩心』という言葉に由来します。
『鬼手菩薩心』とは、仏心を持ちながら敢えて鬼となり衆生を救う。
誰かを救うため、守るためには自ら鬼と化して行動を起こさなければならない時もあるが、慈悲深い心をなくしてはならない。などと意味しています。
『鬼手仏心』の類義語、対義語
類義語
申し訳ありません。
適切な類義語が見つかりませんでした。
何か見つかれば追記致します。
対義語
人は見かけによらぬもの(ひとはみかけによらぬもの)
意味 ・・・ 人の能力や性格は、外見だけではわからないということ。
人面獣心(にんめんじゅうしん)
意味 ・・・ 顔は人でも心は獣だということから、非常で残酷なたとえ。
※正確な対義語とは言えませんが、外見や心と行動の釣り合いが取れていないという意味で、一応対義語として挙げておきます。
少しでも多くのことわざを紹介したいという思いからのですので、ご了承ください。
こんな場面で使おう 『鬼手仏心』を使った例文
例文 外科医だった祖父の書斎には、『鬼手仏心』と書かれた『書』が飾られていた。
例文 私の担当医は鬼手仏心を絵にかいたような医師で、この人になら命を預けることができると思わせてくれた。
例文 多くの社員の生活に責任がある経営者たる者、鬼手仏心の心構えを忘れてはならない。
例文 ゴーン氏は大規模なリストラや経費削減などを大胆に行い、会社の立て直しに成功し、経営者としての腕は確かだったのだろうが、鬼手仏心には程遠く、慈悲の心が足りなかったように思う。
例文 医療ドラマ『ドクターX』の主人公・大門未知子は、一見クールに思えるが、実際は鬼手仏心の見本のような医師だ。
まとめ
現実的な問題として、厳しい医療の現場では、優しい心だけでは人を助けることはできません。
医師として人の命を救うには、確かな技術が絶対的に必要になってきます。
患者の痛みや苦しみを分かっていながらも、その人を助けるために、冷酷とも言える処置をしなければならないこともあるでしょう。
それは医療の世界に限ったことではありません。
左遷やリストラ、受験、スポーツ界での選考など、心を鬼にして断行せざるを得ない場面は多くあります。
そんな時、『鬼手仏心』ということわざのように、相手の気持ちになって考えられる慈悲深い人間でありたいものですね。