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広島カープの相沢翼選手、堂林翔太の護摩行から、ことわざを学ぼう!
2022年1/9、広島カープの相澤翼選手と堂林翔太選手が鹿児島県・最福寺において、毎年恒例の『護摩行』に挑んだと報じられました。
護摩行とは、300度にも達するという燃え盛る炎の前で経を唱えて己の煩悩を焼き尽くし、祈願成就を願う仏教儀式になります。
昨シーズン(2021)は、會澤選手は怪我の影響などで離脱し、堂林選手も打撃不振により出場機会が減り、両選手共に不本意な成績に終わり、チームとしてもリーグ三連覇した頃の勢いは失せ、クライマックスシリーズ出場さえも逃しました。
それだけに今年は特別な思いで臨んだ護摩行だったことでしょう。
『心頭を滅却すれば火もまた涼し』と言いますが、1時間半にも渡る護摩行を終えた両選手の真っ赤な顔からは、その厳しさに加えて、壮絶な覚悟が感じられました。
きっと2022年は強いカープが帰ってくることでしょう。
というわけで今日のことわざは・・・
今日のことわざ『心頭を滅却すれば火もまた涼し』
心頭を滅却すれば火もまた涼し(しんとうをめっきゃくすればひもまたすずし)
意味 ・・・ いかなる苦痛であっても、心の持ち方ひとつで苦痛とは感じられなくなるということ。
『心頭を滅却すれば火もまた涼し』の意味、由来
まず、『心頭』とは、心、心の中を意味し、『滅却』とは、滅ぼして却(しりぞけ)る、つまり、滅ぼしてなくすこと、すっかりなくすことを意味します。
よって、『心頭を滅却すれば火もまた涼し』とは、
心を無にすれば、熱いはずの火であっても、涼しく感じる。
つまり、いかなる苦痛であっても、心の持ち方ひとつで苦痛とは感じられなくなるということ。
という意味になります。
そして、この表現は中国・唐の時代末期の詩人・杜荀鶴(とじゅんかく)が、悟空上人という名の僧が修行に励む姿を書いた『夏日題悟空上人院』という詩に由来するものになります。
夏日題悟空上人院
夏日悟空上人の院に題す
三伏閉門披一衲、兼無松竹蔭房廊。
三伏門を閉じて 一衲を披く、兼ねて松竹の 房廊を蔭う無し。
安禅不必須山水、滅却心頭火亦涼。
安禪は必ずしも 山水を須いず、心頭を滅卻すれば 火も亦涼し。
日本語訳:三伏の時期(夏の最も暑い時期)に、悟空上人は寺門を閉ざして僧衣をきちんと着ておられます。
それに加えて、強い日差しから部屋や廊下を蔭ってくれる松や竹などの樹木もない。
しかし、安らかに座禅を組んで修業に励むには、必ずしも山や川を必要としない。
暑いと思う心を消し去れば、火でさえ自然と涼しく感じられるものである。
この詩にある
滅却心頭火亦涼。
という一節から、『心頭を滅却すれば火もまた涼し』ということわざが生まれたのでした。
また漢字四文字で『心頭滅却』とも言われます。
日本では、織田信長の軍勢に焼き討ちにされた甲斐の恵林寺の禅僧、快川 紹喜(かいせん じょうき)が、この言葉を残して焼死したという逸話として広く知られています。
『心頭を滅却すれば火もまた涼し』の類義語、対義語
明鏡止水(めいきょうしすい)
意味 ・・・心に邪念がなく、清らかに澄みきった心境のたとえ。
※微妙ですが、ニュアンス的に・・・
精神一到何事か成らざらん(せいしんいっとうなにごとかならざらん)
意味 ・・・ 精神を集中すればどんなに難しいことでもできないことはないということ。
意馬心猿(いばしんえん)
意味 ・・・ 心が煩悩や欲情などに乱されて落ち着かないこと。また、そういう心を抑制できないこと。
こんな場面で使おう!『心頭を滅却すれば火もまた涼し』を使った例文
・心頭滅却すれば火もまた涼しといった精神論は、今の世の中ではなかなか通用しないようだ。
・彼は心頭滅却すれば火もまた涼しと、どんな困難にも果敢に立ち向かう男である。
・先日逝去した有名画家は、心頭滅却すれば火もまた涼しと病床でもキャンパスに向かい、亡くなる3日前に遺作となる作品を完成させたそうだ。
・心頭滅却すれば火もまた涼しという言葉の通り、試合中は雑念が消えて、痛みを全く感じなかった。
・クーラーのない安アパートに住んでいた学生時代、夏の間は心頭滅却すれば火もまた涼しと自分に言い聞かせて暑さを凌いでいたものだ。
『心頭を滅却すれば火もまた涼し』を英語で表現すると?
比喩的な表現ではありませんが、英語ではこれらのように表せます。
Clear your mind of all mundane thoughts, and you will find even fire cool.
clear a of b ・・・ a から b を取り除く
mundane ・・・ 平凡な、ありふれた、(精神的・宗教的と対比して)現世の、世俗的な
直訳:世俗的な考えを心の中からなくせば、火でさえも冷たいと感じるだろう。
Nothing is impossible to a willing mind.
直訳:前向きな気持ちをもって臨めば、不可能なことなどない。
まとめ
燃え盛る火が涼しいと感じることは難しいですが、日常生活において私たちが『心頭を滅却すれば火もまた涼し』を実践している場面は意外に多くあります。
スポーツに必死になって痛みを忘れて力を出し切ることができたり、お腹が減っていることも、眠たいのも忘れてゲームに集中したり、何かに夢中になり、雑念が消えると『心頭を滅却すれば火もまた涼し』という境地に辿り着いているのです。
苦手なことや嫌いなことにも応用できればいいのですが、なかなか難しいですね・・・。