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傑作ドラマ『俺の家の話』から、ことわざを学ぼう!
先日、感動の最終回を迎えた傑作ドラマ『俺の家の話』ですが、反響が非常に大きく、ネットでは最終回を何度も見返しているという声も多くあるようです。
私もその一人なのですが、寿三郎(西田敏行)、寿一(長瀬智也)親子の別れのシーンは、何度見ても涙があふれてしまいます。
能の宗家として跡取りになるべくして生まれた長男にずっと厳しく接してきた父親が、初めて我が子を誉める場面での演技は圧巻そのものでした。
また、三度も脳梗塞を発症し、主役として能を舞うことはできなくなった寿三郎ですが、寿一が名作『隅田川』を舞う予定だった新春能楽会では、謡(うたい)を合唱する「地謡(じうたい)」として舞台に上がり、悲しみのなか見事な謡(うたい)を披露していました。
寿三郎は、三歳の頃から毎日稽古をしていたと作中で語られていましたが、まさに昔取った杵柄といった貫禄でしたね。
というわけで今日のことわざは・・・
今日のことわざ『昔取った杵柄』
昔取った杵柄(むかしとったきねづか)
意味 ・・・ 若い頃に身に付けた技量や腕前のこと。また、それが衰えないこと。
『昔取った杵柄』の意味、由来
餅は古くから正月や祝い事などに食べられる特別なものでした。
現代でもその名残から、節分や節句、七夕やお盆、お彼岸などの季節の節目にも食されています。
餅の 歴史を遡ると、縄文時代の後期に稲作の伝来とともに東南アジアから伝わったと考えられています。
そして、餅が季節や行事ごとに供えられ食されるきっかけと考えられているものが、平安時代に誕生した『鏡餅』だと言われています。
この頃から餅は祭事、仏事の供え物や、祝い事に欠かせない食べ物となりました。
現代では、高性能の餅つき機が開発されたり、真空パックに入った保存のきくお餅も販売されていますので、食べたい時にいつでも食べることができますが、昔はそうではありませんでした。
特別な日にだけ作り、さらには餅を作るには多大な労力が必要でした。
まず、モチ米を前日から研いで水に浸しておく必要があります。
翌日、そのモチ米を蒸して、
それを石や木の臼(うす)に入れます。
続いて、木製の杵で蒸したモチ米を練りつぶしたり、ペッタンコ、ペッタンコとついていくのですが、これがなかなか大変な作業になります。
むやみやたらに杵を叩きつけるだけでは、均等に餅をつくことはできませんし、すぐに餅が杵にくっついたりいてしまいます。
そのため、餅をつく人と、合いの手をいれてくれる人が必要になります。
合いの手の人は、餅が均等につかれるように、臼の中に手を入れて、餅を畳むように中心に寄せたり、餅が臼にくっついてしまうようなら、手に多めの水を付けて、それを防がなければなりません。
また、餅は熱いうちにしっかりとつくことで、滑らかでよく伸び、美味しいものになりますので、技術とスピードが必要になります。
重たい杵を合の手とリズムに合わせて何度も振り下ろすには、力だけでなく、高度な技術が要求されるのです。
均等に餅がつけるように合の手の人が中心に餅を寄せてくれても、つく人の狙いが外れてしまえば、付く回数が増えて、タイムロスになり、美味しいお餅ができません。
また、臼に杵をぶつけてしまえば、木のカスが混入したりもします。
一見、それなりの腕力があれば誰にでもできそうに見える餅つきですが、奥が深いものなのです。
そして、一般的に家族のなかで餅をつく役割は若い男性で、行事毎に餅をついていました。
そのことから、昔取った杵柄の『昔』とは、若い頃のことを表します。
次に、杵柄とは、文字通り杵の柄(手で握る部分)なのですが、
この表現では、
餅をつく時に握る杵の柄の感触、すなわち、餅をつく技術を表しています。
そして、餅つきに限らず、手の感触として体に染み付いたほどの技術は、ちょっとのことでは衰えることはありません。
これらのことから、昔取った杵柄とは・・・
若い頃に身に付けた技量や腕前のこと。また、それが衰えないこと。
という意味になります。
また、江戸時代末期に誕生した『上方(京都)いろはかるた』の絵札に使われていることわざですので、もっと古くから広まっていたことわざだと考えられます。
『昔取った杵柄』の類義語、対義語
雀百まで踊り忘れず(すずめひゃくまでおどりわすれず)
意味 ・・・ 若い時に身に付いた習性は、生涯直らないというたとえ。
三つ子の魂百まで(みつごのたましいひゃくまで )
意味 ・・・ 幼いころの性格は、年をとっても変わらないものだということ。
どちらのことわざも、類義語っぽい感じはしますが、悪い習慣や悪い癖、道楽など、悪いことを表す表現で、『昔取った杵柄』とは、使われ方、ニュアンスが全く異なります。
麒麟も老いては駑馬に劣る(きりんもおいてはどばにおとる)
意味 ・・・ どんなに優れた才能を持つ人でも、年をとって衰えると、平凡な人にも及ばなくなるというたとえ。
『昔取った杵柄』を使った例文
・大工職人だった祖父は、昔取った杵柄で、家のどこかが壊れても、ほとんど自分で修理してしまう。
・子供の頃に体操教室に通っていた私は、昔取った杵柄で、腹が出ようが頭が薄くなろうが、今でもバク転ができる。
・昔取った杵柄と、草野球の試合があるたびに声が掛かるのだが、技術的にはまだ通用するが、体力的には厳しくなってきている。
・昔取った杵柄と堂々と言えるような特技や趣味があれば、老後も暇を持て余すことなく、楽しく暮らせるだろう。
・離婚して男手一つで子育てをすることになったが、幸いにも料理に困ることはなかった。学生時代に洋食屋でバイトをしていた私は、昔取った杵柄で、子供が食べたいと言ったものは何でも作ってあげることができた。
『昔取った杵柄』を英語で表現すると?
比喩的な表現ではありませんが、英語ではこのように表せます。
Utilizing one’s experience of former days.
(往年の経験を生かす)
My grandfather is a old hand at hunting .
私の祖父は、昔取った杵柄で狩猟の名人だ。
old hand ・・・ 熟練者、ベテラン、名人。
まとめ
『悪銭身に付かず』ということわざがりますが、
悪銭身に付かず(あくせんみにつかず)
意味 ・・・ 不正に得た金銭は無駄遣いしがちで、結局は何も残らないということ。
その反対で苦労して手に入れたものは自分の財産として残りますし、努力して身に付けた技術や腕前は、そう簡単には衰えることはありません。
残念なことに、現代は先の見えない時代です。
趣味にしても習い事にしても道楽にしても、どうせやるなら真剣に打ち込み、一つでも多くの『杵柄』を勝ち取りましょう。