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国民的ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』から、ことわざを学ぼう!
先日、脚本家の橋田寿賀子さんの訃報が報じられました。
NHKの朝ドラ『おしん』、大河ドラマ『春日局』『おんな太閤記』など数々の名作を生みだした橋田寿賀子さんですが、やはり彼女の代名詞となる作品は、『渡る世間は鬼ばかり』ではないでしょうか。
1990年から20年もの間、断続的に放送されたテレビドラマシリーズで、全10シリーズに、その後のスペシャルを含むと、通算放送回数は511回を誇る国民的ドラマですね。
ことわざを扱う当ブログとしては、
本来は、『渡る世間は鬼ばかり』でなく、『渡る世間に鬼はなし』
と言いたいところですが、それを覆されてしまうほど『渡る世間は鬼ばかり』という言葉は有名なものとなっています。
というわけで、橋田寿賀子さんのご冥福をお祈りして、今日のことわざは・・・
今日のことわざ『渡る世間に鬼はなし』
渡る世間に鬼はなし(わたるせけんにおにはない)
意味 ・・・ 世の中には、鬼のような恐い人ばかりではなく、温かい心を持った人もいるということ。
『渡る世間に鬼はなし』の意味、由来
まず、『渡る』には、『橋を渡る、川を渡る』など以外に、『暮らす、生きていく』という意味があります。
続いて、世間は、そのまま世間、世の中という意味で、
『鬼』とは、無慈悲で残忍で恐ろしいなどといった形容の代名詞のようなものです。
そこから、
私たちが暮らしている世の中は厳しく、鬼のように無慈悲で残忍な人ばかりだと思われがちだが、実際のところは情に深い、親切で思いやりのある人もたくさんいる。
という意味になります。
夏目漱石の小説『野分(1907)』に、
渡る世間に鬼はないというから、同情は正しき所、高き所、物の理窟のよく分かる所に聚あつまると早合点して・・・
とあり、その頃には浸透していたことわざと考えられます。
『渡る世間に鬼はなし』の類義語、対義語
捨てる神あれば拾う神あり(すてるかみあればひろうかみあり)
意味 ・・・ 見捨てられることがあっても、一方で助けてくれる人もいるから、くよくよしなくてもよいというたとえ。
人を見たら泥棒と思え(ひとをみたらどろぼうとおもえ)
意味 ・・・ 他人を軽々しく信用しないで、まずは、用心して疑ってかかれということ。
類義語として、本家である『渡る世間に鬼はなし』ということわざ以上に世の中に浸透した『渡る世間は鬼ばかり』という表現を挙げたいところですが・・・
以前、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』のプロデューサー・石井ふく子さんが、インタビューにおいて、
『渡る世間は鬼はなし』ということわざがある。
それをもじって『渡る世間は鬼ばかり』。
相手のことを鬼だと思う自分がすでに鬼なんだと、自分が鬼でなかったら相手のことも鬼だと思わない、という意味を込めたんですよ。
と語っておられたように、『渡る世間は鬼ばかり』の作り手の真意は、『渡る世間は鬼はなし』の対義語とは言えませんね。
こんな場面で使おう!『渡る世間に鬼はなし』を使った例文
・今回の出張はトラブルの連続で散々だったが、多くの人に助けてもらい、渡る世間に鬼はなしと痛感した。
・渡る世間に鬼はなしというし、外見で人を判断するのはやめよう。
・夏休みに自転車で一人旅をしたのだが、たくさんの人に親切にしてもらい、渡る世間に鬼はなしと実感できた。
・渡る世間に鬼はなしで、この町の人はみんな親切でやさしい。
・渡る世間に鬼はなしという言葉もあるのだから、知らない人であっても、困ったときは助けを求めてみよう。
『渡る世間に鬼はなし』を英語で表現すると?
比喩的な表現ではありませんが、英語ではこのように表せます。
There is kindness to be found everywhere.
直訳 親切な人はどこにでもいる。
まとめ
道に迷って教えてもらった時、電車で席を譲る人を見た時、辛そうな時に声をかけてもらった時、日常生活において、『渡る世間に鬼はなし』ということわざを感じるシーンは多くあります。
また、そんな世の中で会って欲しいものですね。
私自身も、このことわざはつくづく身に染みています。
周りの人に支えてもらってばかりです。少しは周りの人にも、このことわざを感じてもらえるように生きていきたいと思います。