四字熟語

今日のことわざ 『明鏡止水』 の意味、由来、類義語、対義語、使い方、英語表現などをエピソード付きで徹底解説!

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2021年「ユーキャン新語・流行語大賞」ノミネート!『ととのう』から、ことわざを学ぼう!

今や年末の風物詩ともいえる「ユーキャン新語・流行語大賞」ですが、2021年は東京オリンピック・パラリンピックやコロナ関連語が多数を占めるなか、大賞こそ逃しましたが堂々ノミネートされた「ととのう」についてお話していきますね。

『ととのう』とは、サウナ、水風呂、休憩を繰り返すことによって得られる心身ともに整った状態を指す新語になります。サウナの気持ち良さを表現する言葉ということですね。

かんたんに解説しますと、サウナに入って体を温めることで血管が拡張され、血流が良くなります。

また、交感神経が活発になり身体が興奮状態になります。

続いて、温めた身体を冷水に浸かって冷やします。

熱いのを我慢した後の水風呂は最高に気持ちいいですよね。

また、交感神経はさらに活発になり、脳内ではアドレナリンが大量に分泌されます。

そして、冷水から上がり休憩を挟むのですが、冷水に浸かることによって収縮された血管は再び拡張し、さらに血流は上昇します。

そして、再びサウナに入ります。

この、サウナ、冷水浴、休憩のセットを繰り返すことで得られる幸福感、多幸感のことを、『ととのう』と表現するそうです。

そして、タナカカツキ氏が自身がサウナにはまってゆく過程を、エッセイとイラストを交えて描いた書籍『マンガ サ道〜マンガで読むサウナ道〜』 から生まれた表現だそうです。

心身ともに整った状態、言い換えれば『明鏡止水』の境地と言ったところでしょうか。

というわけで今日のことわざは・・・

今日のことわざ 『明鏡止水』

今日のことわざ
 

明鏡止水(めいきょうしすい)

意味 ・・・心に邪念がなく、清らかに澄みきった心境のたとえ。  

『明鏡止水』の意味、由来

『明鏡止水』とは、『明鏡』『止水』、同じような意味の二つの熟語を並べて作られた四字熟語になります。

まず、『明鏡』とは、明るい鏡、すなわち曇りのないきれいな鏡を指し、『止水』とは、止まった水、すなわち、じっと静止した水、きれいな水面を指します。

くもりのない鏡も、じっと止まっている水面も物を正しく映すところから、『明鏡止水』とは、

心に邪念がなく、清らかに澄みきった心境のたとえ。

という意味になります。

そして、『明鏡』と『止水』という言葉は共に、中国戦国時代の思想家・荘子が著した『荘子ー徳充符篇』にある一節に由来する言葉になります。

この『徳充符篇』では、漢字の構成から想像できるように、が心のうちに満すると、その(しるし)が外面に表れるということを、4つの寓話を通して説かれています。

まず、『明鏡』の由来となった寓話から要約しますと・・・

中国春秋時代の紀元前6世紀ごろ、子産(しさん)と申徒嘉(しんとか)という二人は、伯昏無人(はくこんむじん)を師と仰ぎ、ともに学んでいましたが、子産は宰相(歴代中国の王朝で君主を補佐した最高位の官職)まで登り詰めた一方で、申徒嘉は出世どころか足切りの刑を受けた元罪人でした。

子産は前科者の申徒嘉を毛嫌いし、何かにつけて横柄な態度で接していました。

そんなある日、申徒嘉は宰相という自分の地位に驕る子産にこのように言いました。

鑑明則塵垢不止、止則不明也。

鏡明らかなるは則ち、塵垢止まらざればなり。止まれば則ち明らかならず。

訳:鏡に曇りがないのは、塵がつかないからであって、塵がつくと曇ってしまう。すなわち、しばらく賢者と一緒にいると、その人に感化されて心の曇りが取れて、過ちがなくなる。

申徒嘉は、鏡に付いた塵を、子産が抱く罪を犯し片足を失った者への軽蔑や偏見や自分の地位への驕りにたとえ、偉大な師の下で学んでいるにかかわらず感化されていないことを嘆き、指摘したのでした。

この寓話から、物を正しく映し出す塵や曇りのない美しい鏡、すなわち『明鏡』は、

澄みきった静かな心境のたとえという意味になったのでした。

続いて、『止水』とは、同じく『荘子ー徳充符篇』にある孔子とその弟子の常季の問答を納めた寓話に由来しています。

かんたんに要約しますと・・・

孔子が約3000人もの弟子を抱えていたと言われる頃、王駘(おうたい)という足切りの刑を受けた者のところにも、それに匹敵するほど多くの弟子が学びに行っていました。

このことを孔子の弟子・常季は疑問に思い、なぜ前科があり、不具者の王駘のところに弟子が集まるのかと孔子に尋ねました。

この問い対して孔子は、王駘の素晴らしい人間性を讃え、総括してこのように答えたのでした。

人莫鑒於流水而鑒於止水。唯止能止衆止。

人は流水に鑑みること莫くして止水に鑑みる。唯止のみ能く衆止しを止どむ。

訳:人は誰も流れる水には真の姿が映らないから鑑とはせず、静止した水に自分を映し出す。そうした、ただ静止した水のような静かな心をもっていれば世間一般の真の姿をとらえることができる。

つまり、「流れる水には真の姿が映らないから、人は流れる水ではなく止まった水を鏡として使う」ということをたとえに出し、王駘は止まった水のように穏やかな心を持っているから、自然と人が集まってくるのだと説いたのでした。

この寓話から『止水』とは、止まった水のように穏やかなしんきょうのたとえという意味になったのした。

また、中国・前漢時代の思想書『淮南子(えなんじ)―俶真訓』にも、

人莫鑑於流沫、而鑑於止水者、以其静也。莫窺形於生鉄、而窺於明鏡者、以其易也

人の流沫に鑑みる莫くして止水に鑑みるは、其の静かなるを以ってなり。形を生鉄に窺う莫くして明鏡に窺うは、其の睹易きを以ってなり。夫れ唯だ易かにして且つ静かなるは、物の性を形すなり。

訳:人が流れる水を鏡とせず、静止した水を鏡とするのは、それが静かだからである。粗鉄に姿を映さず、明鏡に映すのは、それが平らだからである。すなわち、ひたすら平らで、かつ静かであるものは、万物の本性をそのまま表すのである。

とも見られます。

『明鏡止水』 の類義語、対義語

類義語
 

虚心坦懐(きょしんたんかい)

意味 ・・・ 先入観を持たず、広く平らな心。また、そうした心で物事に臨む態度。

光風霽月(こうふうせいげつ)

意味 ・・・ 心が清らかでわだかまりがなく、爽快であること。

対義語
 

疑心暗鬼(ぎしんあんき)

意味 ・・・ 疑いの心があると、なんでもないことでも怖いと思ったり、疑わしく感じることのたとえ。

意馬心猿(いばしんえん)

意味 ・・・ 心が煩悩や欲情などに乱されて落ち着かないこと。また、そういう心を抑制できないこと。

こんな場面で使おう!『明鏡止水』を使った例文

例文
 

・超一流のスポーツ選手とは、ここぞという時に明鏡止水の心で真の力を発揮できる選手をいうのだろう。

・サウナにはまって以来、明鏡止水の境地を知ったように思う。

・定年退職後、田舎で農業を始めたは、明鏡止水の心で穏やかに暮らせているようだ。

・大学受験当日の朝、やれることは全てやったと明鏡止水の境地に達することができた。

・書をしたためる時の師匠の穏やかな表情からは、明鏡止水の心持が見て取れる。

『明鏡止水』を英語で表現すると?

比喩的な表現ではありませんが、

clear and serene

clear ・・・ 明るい、澄み切った

serene ・・・ 穏やかな、落ち着いた、静かな

という形容詞が近い表現になります。

英文にすると・・・

My mind  is clear and serene.

・明鏡止水の心境だ。

と表せます。

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まとめ

2021年に流行した『ととのう』のように、サウナでもいいでしょう。

好きな音楽を聴いてもいいでしょう。

走ることが好きな人なら、いつもより長くが知ってランナーズハイを感じてもいいでしょう。

何か好きなことに熱中するのもいいでしょう。

たまには雑念を除いて、明鏡止水の境地に達してみてはいかがでしょうか。

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