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更生を、野球界復帰を目指す清原和博氏から、ことわざを学ぼう!
2016年2月覚せい剤取締法違反の罪で逮捕され、日本中にに大きな衝撃を与えた元プロ野球選手の清原和博氏ですが、
有罪判決を受けた覚せい剤取締法違反での執行猶予が満了した2020年6月以降は、テレビ出演、野球教室参加、ユーチューブチャンネル開設など、多方面で精力的に活動を再開されています。
その中でもユーチューブでは、最も清原氏の『素』の部分が見られると、多くのファンに愛されています。
そしてシリーズ化されているダイエット企画では禁酒や食事制限、厳しいトレーニングにも取り組み、着々と現役時代のようにたくましい身体に戻りつつあるようです。
また、それと同時に表情も穏やかになったように見受けられます。
振り返ってみれば、覚せい剤を使用していたとされる逮捕前は、テレビ出演時には時折険しい表情を見せたり、挙動が怪しかったようにも思います。
やはり、「健全な精神は、健全な肉体に宿る」ということなのでしょうね。
というわけで今日のことわざは・・・
今日のことわざ『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』
健全なる精神は健全なる肉体に宿る(けんぜんなるせいしんは けんぜんなるにくたいにやどる)
意味 ・・・ 健やかな肉体の持ち主は、自(おの)ずと精神も健やかになるということ。
『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』の意味、由来
『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』とは、古代ローマの詩人、の著書『風刺詩集』にある一文に由来する表現になります。
ユウェナリスは詩人だけでなく、弁護士としても活動しており、著書『風刺詩集』は、そのタイトル通り、退廃したローマ社会の偽善や愚行を痛烈に批判した風刺の効いた内容でした。
そして、『風刺詩集』には、
It is to be prayed that the mind be sound in a sound body.
「健やかな身体に健やかな精神が願われるべきである」
とあります。
現代では、部分的に『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』とだけ伝えられており、
体が健康であれば、それに伴って精神も健全であるということ。また、何事も身体(健康)がもとであるということ。
という意味として使われていますが、
ユウェナリスの真意としては、
「健やかな身体に健やかな精神が願われるべきである」
ということだったのです。
また、この一文は、ローマの民は健全な肉体であったとしても、精神的には全く健全ではない、という皮肉が込められているとも言われています。
『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』の類義語、対義語
申し訳ありません。
適切な類義表現、対義表現が見つかりませんでしたので、お詫びに、健康に関係することわざをいくつか紹介しておきますね。
腹八分に医者要らず(はらはちぶにいしゃいらず)
意味 ・・・ お腹いっぱいになるまで食べないで、少し控えめに食べておけば、健康に良いということ。食べ過ぎ、飲み過ぎの人を戒める言葉。
酒は百薬の長(さけはひゃくやくのちょう)
意味 ・・・ お酒は適量であれば、どんな薬よりも健康によいということ。
健康は富に勝る(けんこうはとみにまさる)
意味 ・・・ 健康は富よりも貴重なものだということ。
清潔であれば半分健康 (せいけつであればはんぶんけんこう)
意味 ・・・ 清潔にすることが健康の基本であるということ。
清潔は健康の母(せいけつはけんこうのはは)
意味 ・・・ 清潔を保つことが健康のもとである。
若葉は目の薬(わかばはめのくすり)
意味 ・・・ 瑞々しい若葉を見るのは気分が清々しくなるばかりか、目の健康にも良いということ。
朝の果物は金(あさのくだものはきん)
意味 ・・・ 朝に食べる果物は体に良いということ。
こんな場面で使おう!『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』を使った例文
・お酒を止めた父は顔色がよくなっただけでなく、性格も穏やかになったように思う。これが健全なる精神は健全なる肉体に宿るということなのだろうか。
・健全なる精神は健全なる肉体に宿るで、仕事に追われて体調を崩していた時は気持ちもひどく荒んでいた。
・一流のアスリートたちを取材していくうちに、健全なる精神は健全なる肉体に宿るという言葉は事実だと感じるようになった。
・健全なる精神は健全なる肉体に宿るという言葉があるが、私の場合は、病を患ってからの方が人の痛みがわかる優しい人間になったと思う。
・不摂生な食習慣を改めてダイエットに成功した彼女は、健全なる精神は健全なる肉体に宿るというように、見た目だけでなく心も美しくなったようだ。
『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』を英語で表現すると?
It is to be prayed that the mind be sound in a sound body
という原文が部分的にことわざとして使われるようになったことから、
A sound mind in a sound body.
となります。
まとめ
今回は『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』という表現を深く掘り下げていきましたが、決して、不健康な体には健全な精神が宿らないという意味ではありません。
例文でも言及したように、健康を害することによって、人の温かさに触れたり、人の痛みや気持ちがわかるようになったりと、精神的に豊かになることは大いにあるでしょう。
ですが、身体が健全でないと、心が塞ぎ込んだり、何をするにも億劫になっしまい、健全な精神を保つことは難しくなってしまいます。
月並みな言葉ですが、健康、健全な身体は日々の積み重ねによって得られるものです。
これを機会に、少しずつでも何か身体のためになることに取り組んでみてはいかがでしょうか?